株式会社ドワンゴモバイルを退職します

若干の需要があるようなので、最近流行の「退職エントリ」を書いてみることにします。

退職のご挨拶

スカイツリー(まだ低い)
スカイツリー(まだ低い)

2013年1月末をもって、株式会社ドワンゴモバイルを退職します。

昨年末で最終出社を済ませ、今月は冬休みとして有給休暇を消化していました。

親会社のドワンゴに入社したのは2010年6月なので、ドワンゴグループへの在籍期間は2年8か月となりました。


ドワンゴグループでの仕事

いままでの仕事について、簡単に振り返ってみたいと思います。残念ながら、みんなだいすき「ニコニコ」の仕事にはほとんど関わっていないので、その辺を期待している人は読み飛ばしてくださいね。

研究開発本部
研究開発本部
研究開発本部

ドワンゴへの入社当時、エンジニアの大半は「研究開発本部」という部署に所属していました。エンジニアばかりが所属するかなり大きな部署で、独特の雰囲気が至る所に漂っていました。昔所属していたゲーム制作の会社に、なんとなく空気が似ていると感じたものでした。

ここでの仕事は、モバイル向けサービスのバックエンド開発でした。既に稼働しているシステムのブラックボックステストを行うシステムを、RubyとSinatraで新規に開発し、機能追加とメンテナンスを含めて1年ほど面倒を見ました。

Rubyでゼロからシステムを開発することができたのはとても幸運でした。Rubyの経験はそれまであまりなく、それゆえ苦労や失敗もありましたが、Rubyの強力さとたのしさをたっぷり学ぶことができました。

また、今まで在籍してきた会社はいずれも社員数は100人未満。こんなに規模の大きな会社で働くのも初めてで、そういう意味でも新しい経験をすることができました。独りでなんでもやらなくていいことに驚いたり、関係者を捜すために聞き込みをしたり。今までとは仕事の進め方が全然違うので、楽しんだりまどろっこしく思ったりしたものです。

13階の自席からは、建設真っ最中のスカイツリーが正面に見えたのも記憶に残っています。


モバイル事業本部

入社してちょうど1年の時期に、大きな組織変更がありました。研究開発本部を解体し、エンジニアもそれぞれの事業本部に所属させ、よりサービスに近いところで開発をしよう、という試みです。そのとき「モバイル事業本部」の所属に変わりました。

そこで担当したのは…

新規サービスのプロトタイプ作成

新しい事業を興すために、音楽配信に関連するサービスのプロトタイプを、小規模チームで作成していました。

大まかなテーマに沿って企画を立て、サーバサイドとクライアントサイド(スマートフォン)のアプリを作り、ブラッシュアップしていく。企画に関連する仕事はあまり携わっていなかったので、これもいい経験になったものです。

合間に、ガラケー向けのゲームを作ったりしたこともありました。Flash Liteの不自由さには閉口したけれど、久しぶりのゲーム開発はそれなりに楽しいものでした。

新卒の師匠

平行して、新卒エンジニアの「師匠」を担当しました。グループ研修(Webアプリ作成)を監督したり、研修終了後のメンターをしたり。

若者の面倒を1対1で長期間見るのも初めてで、ここにもいろんな発見がありました。それなりに大変でしたが、そのぶん新卒くんよりも多くのことを学んだように思います。

人事担当

だんだんとエンジニアの中途採用の手伝いもするようになり、書類審査や面接をする機会が増えてきました。

特に2011年の後半3か月は、ほとんど採用活動を専任していました。1,000通以上の書類審査、150人以上の面接、採用イベントへの参加、人材紹介会社とのあれこれ…。

この期間はエンジニアリングの方はすっかりおろそかになりましたが、普通では得られない貴重な経験を積むことができました。採用する側とされる側、両方の立場を経験することで得た新しい視点は、その後の課外活動において軸のひとつになっています。

ドワンゴモバイル

そんな中、突然飛び込んできたのが「分社化」。モバイル事業を切り出し、「ドワンゴモバイル」という100%子会社が設立されたのです。

ドワンゴモバイルへの「転籍」も、もちろん初めての経験。オフィスも日本橋浜町から青山一丁目に移り、いろんな意味で「心機一転」となったのでした。

ここでは主に、スマートフォン向けの音楽配信サービスを開発していました。使ったのはRubyとPadrino、MongoDB、jQuery MobileとBackbone.jsなど。新しい技術で新しいサービスを作るのは、エンジニアとしての本分です。ガリガリ実装するところから、チームをまとめたり、最終的にはマネージャになったり。かなりの広範囲を担当しました。途中炎上することもありましたが、いろんな面で充実した仕事をすることができました。

技術寄りの内容は、先日開催された「東京Ruby会議10」で発表してきました。Padrinoというちょっとマイナーだけど魅力的なフレームワークを実際のプロダクトとして使い、その経験をプレゼンすることができたのもうれしい出来事でした。

退職、そして転職

そんなこんなで2年数か月働いてきたわけですが、こうして転職することになったのでした。

退職の理由

退職の理由はまあいろいろあるのですが、バンドで言うところの「音楽性の違い」というのが一番しっくりくるでしょうか。

自分で実現したいこと、会社が期待すること。両者の乖離が大きくなるにつれ、思い悩むことが増えていきました。ちょうどそんなタイミングで、「自分で実現したいこと」により近い環境にチャレンジする機会をいただけたのが、退職の理由です。

転職、そしてこれから

2月からは別のWebサービスを運営する会社に入社し、エンジニアとして働くことになっています。

今度の転職では、実現したいことのひとつである「幸せを増やすための仕事」にグッと近づくことができたと確信しています。ですから「見知らぬところに飛び込む」という転職にはつきものの緊張も、なんだか心地よく感じられます。

「2年8か月ぶり5回めの転職」ですが、新しい環境、新しい目標、そして新しい仲間と一緒に仕事をすることがとても楽しみです。

まとめと謝辞

入社直前にヨメさんの妊娠が発覚し、在籍中にムスコさんが誕生し、あの大きな地震が起き、分社化や転籍なんてものを経験し、役職付きで仕事をした。思い返してみると、今までになく密度の高い期間を過ごしてきました。ここで得たものを自分なりに育てて、業界や社会に還元していくのが自分にできる最大の恩返しだと思って、今後も精進していきたいと思います。

在職中にお世話になった皆様、ありがとうございました。次の仕事で成果を出すことがなによりのご恩返しだと思っています。いっそうの研鑽を重ね、世の中の幸福の総量を増やしていきたい所存ですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

追伸

叱咤激励のお気持ちはこちらからも受け付けておりますので、あわせてご参照ください。