四半世紀越しの誤解が解けた話

年始ですね。

喪中ですのでお祝いは差し控えさせていただきますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


長くなるので先にまとめ

鬼怒川の温泉につかりながら、ブログ記事を2件読みました。

これらを読んで、これから親として振る舞うときの心がけをまとめてみました。

  • 大人は子供のやってることを100%理解した上で「やれ」「やめろ」なんて言うことは無理
  • 大人が子供に与えるべきものは…
    • たくさんの機会、出会い
    • たくさんの「致命的ではない失敗」をする経験
    • 本当にヤバいものからの庇護
  • よそのお子さんに怒ることはしても(大浴場でバタ足するな!)、価値観を説くことはすまい

鬼怒川でのできごと

さて。以下は、なぜそう思ったかの経緯です。パーソナルな話が長々と続くので、お急ぎの方はタブをそっと閉じるとよいでしょう。

母の要望により、昨年から本年への年越しは、鬼怒川温泉で過ごしています。母と伯母、それにヨメさんとムスコさん。本当は妹一家も一緒のはずだったんだけど、長女が年末インフルをやらかしたのでキャンセルに。健康は命より大事ですね。

そんな年末年始、旅館メシを食いながら母と話をしていたら、四半世紀越しの誤解が解けました。

母「あなたが中学生のころ、よくマツオくんの家に入り浸っていたでしょう。あれが心底心配で、ずっとあのままだと、今ごろあなたはネット廃人になってたんじゃないかって。」

きっとなんか、ネットを悪者にしたいテレビ番組見たんでしょうね。

僕「それは違うよ。彼の家でコンピュータについてのあれこれを学ぶことができたから、巡り巡って今、ソフトウェアエンジニアとしてメシを食うことができているんだ。」

僕とマツオくんについてのダイジェスト

マツオくんは小学校〜高校までの同級生で、小学校6年生〜中学校2年生までは特に仲良くしていた友人です。

共通の趣味はパソコン。お互いSHARP派で、彼はX1turboIIを持っており、それを目当てに足しげく彼の家に通ったものでした。

ベーマガやI/O、Oh! MZ(のちのOh! X)を見ながら、BASICのリストやアセンブラのダンプを打ち込んだり、市販のゲームをごにょごにょしたり、文化祭出展用のプログラムを書いたり。

しばらくして僕がパソコン(X1turbo)を手に入れてからも、大事な仲間として、そしてなんとなくライバルとして、互いの家に行ったり、情報交換をしたりしていたのでした。

やがて彼は水泳に、僕はバンドにハマったので、それまでに比べると疎遠になっていったのでした。母はこれを見て「ああよかった」なんて思ったのでしょう。

僕がカッパになり、ソフトウェアでメシを食うようになるまで

以下、僕の昔語りです。パーソナルかつ長いのですが、お急ぎの方はすでに離脱してると思うので気にせず続けます。

こんにちはマイコン期

すがやみつるの「こんにちはマイコン」というマンガで「パソコン」(当時は「マイコン」と呼んでいた)の存在を知り、欲しくて欲しくてたまらない時期でした。

この頃は家電販売店にもマイコンが展示されていました。近所のSONY系の店はPC-6001(「こんにちはマイコン」で題材にされたあこがれの機種だが展示だけで触れず)、SHARP系の店にはX1(がっつり触れて、カセットテープを持ち込んでいろいろセーブしていた)、日立系の店にはベーシックマスターレベル3(「デゼニランド」が遊べたがクリアには至らず、のちにマツオくんの家でX1版をクリア)があり、それぞれに通っては店員に可愛がられたり嫌がられたりしていたものです。

ファミコン以前にもゲームセンターに行ったりするゲーム大好き少年だったので、パソコンに触れるモチベーションもゲームが一番でした。ベーマガの投稿作品をぽちぽち打ち込むとゲームができる。ソースの意味がわかると改造できる。同世代のプログラマ諸氏には共感してもらえる思い出じゃないでしょうか。

X1turbo期

中学生のとき、中古でX1turbo(初代のモデル20)を中古で買ってもらったのが、僕の始めてのパソコンです。

それ以前にポケコン(PC-1245)を持っていたこともあったのですが、こっちにはそれほど熱中しませんでした。ゲームがモチベーションだったので、16桁1行というLCDはあまり楽しくなかった記憶があります。

ようやく手に入れたX1turboは、その後追加のフロッピーディスクドライブ、FM音源ボード、ジョイスティックなどを手に入れ、ゲームしたりプログラミングしたりテレビ見たり(専用モニタは「ディスプレイテレビ」と呼ばれるTVチューナ内蔵のもので、その上にパソコンの出力を重ねられる「スーパーインポーズ」機能がついていた)、およそインドアな遊びはすべてX1turboでまかなっていました。

このときプログラミングはBASICの読み書きどまりでアセンブラの習得には至らず、その後バンドにハマったのでX68K方面にも進まず、しばらくコンピュータから離れることになります。

Windows95 / 漢字Talk7期

その後紆余曲折あってWindows95が載ったCompaqのDOS/V機とPower Mac 7200/120を入手し、ISDNでインターネットにつながりました。パソコン通信が盛り上がっていた時期にコンピュータから離れていたので、これが初めてのオンライン経験です。

この時期は特にプログラミングはしていなかったけれど、とにかくインターネットが楽しくて、プロバイダの無料スペースにWeb1.0な「ホームページ」を作ったり、Perlの掲示板スクリプトをCGIで動かしたりしていました。

ネットを徘徊するうち、「SEGA BBS」というSEGAが運営する掲示板でとあるソフトハウスの人と知り合い、当時自営業(という名の無職)だった僕に「ちょっとゲーム制作の仕事手伝ってみない」と声をかけてもらったのが、ソフトウェア開発への転機でした。

自作DOS/V期

業務委託として最初に請けた仕事は、グラフィックデータをコマンドラインツール(DOS)に通し、ゲームのデータファイルとしてコンバートする作業。「DOS窓使えるよね?」「はいまあなんとか(さっぱりだったので速攻検索)」で仕事が始まり、ツールのバグを踏んだりデータの不備をデバッグしたり、というのがゲーム業界デビューでした。

それからその手の作業をいくつか請けるうちに「作業たくさんあるから常駐しない?」と引っ張り込まれ、結局8年ほどゲーム業界で仕事をしていました。

最初にコードっぽいものを書いたのが、そのソフトハウスの社内で開発された簡易言語。BASICライクな行番号ベースのスクリプトだったのですが、ここでX1turbo期の経験が役に立ったのですから、人生とはわからないものです。

この時期書いたコードは…

  • シナリオスクリプティング
    • BASICライクな簡易言語
    • Cライクな簡易言語
  • WZ EDITORのC言語ライクなマクロ
  • Webプログラミング
    • PHP3とPostgreSQL
  • C/C++
    • PlayStation2用社内ゲームエンジン上で
    • Win32 API / DirectX
    • OpenGL

なんとまあデタラメな。そして、しんどかったけど、楽しかった。このときの思い出は「長くて脱線しがちな師匠への謝辞」としてエンジニアライフに書いてますので脱線上等な方はこちらもどうぞ。

Webプログラマ期

8年ほどゲームを作っていたのですが、結婚を機に収入を上げる必要に迫られ、転職という道を選びました。

ここでラッキーだったのは、転職してすぐWebの仕事をかじるチャンスがあったこと。最初はC / C++のスキルで売られたのですが、Java / Strutsのチームが崩壊していたのでヘルプに入り、そのまま撤収するまでその現場ではWebサイトの面倒を見ていたので、その後仕事が急増したときにもうまく対応できたし、次の転職もスムーズでした。

CっぽいJavaを書き、JavaっぽいPHPを書き、PHPっぽいRubyを書き…というはた迷惑なキャリアですが、それでもなんとか5回の転職を乗り越え、今でもソフトウェアエンジニアとしてメシを食うことができている、というわけです。


マツオくんありがとう、おかあさんありがとう

ということで、むやみに長い昔語りにおつきあいいただいたみなさま、お疲れさまでした。僕のキャリアにおいて、マツオくんが結構重要であることはご理解いただけだでしょうか。そしてそれは「結果そうなった」だけだ、ということも。

X1turboでBASIC書いてた経験から「なんだ書けるじゃん」といろんな仕事を振ってもらえ、その結果ソフトウェアエンジニアとしての素地を身につけることができたのですから、人生とはサイオー・ホース。そしてそのときの熱中に、マツオくんというのは大事な存在だったのです。

もしあのとき、「パソコンに熱中する時間なんてゴミだ」と言われてマツオくんとの交流をストップされていたら、今ごろ僕はソフトウェアエンジニアを職業にしていたとは思えません。

ということで、冒頭の「親としての心がけ」を繰り返してこのエントリをおしまいにします。僕はムスコさんに、魚の取り方を教えてやりたいのです。

  • 大人は子供のやってることを100%理解した上で「やれ」「やめろ」なんて言うことは無理
  • 大人が子供に与えるべきものは…
    • たくさんの機会、出会い
    • たくさんの「致命的ではない失敗」をする経験
    • 本当にヤバいものからの庇護
  • よそのお子さんに怒ることはしても(大浴場でバタ足するな!)、価値観を説くことはすまい