ダークヒーローを葬り去れ – 書評「レッドビーシュリンプの憂鬱」

アイティメディアの名物コラム「Press Enter■」から、その中でも特に(読んでる方の心が)つらいと評判の名作「罪と罰」が、「レッドビーシュリンプの憂鬱」とタイトルを改め単行本として出版されることになりました。


編集さんからご依頼いただき、書評のために発売前のデータを読ませていただきました。正月休みがとても有意義に過ごせたのですが…やっぱりつらいなあ。フィクションとしてとてもおもしろいのに、とてもつらい。このつらさはなんなのかというと、あまりにもリアリティのある「現実のつらさ」なのだな、と思い当たりました。

会社にとっても、組織にとっても、エンジニア個人にとっても、理想と乖離した現実はとてもつらいものです。その中で、ベクトルはまったく違ったとしても、登場人物それぞれが生きのこるために現実と戦い理想を追い求める姿は、現実世界に生きるわれわれエンジニアにとって、「つらい現実と戦っているのは自分だけじゃないんだ」という勇気を与えてくれます。

「レッドビーシュリンプの憂鬱」

本書を支えるのは、ソフトウェア開発における圧倒的なリアリティです。「Press Enter■」の一連の作品は登場する会社や人物がひとつのしっかりした世界観を共有していますが、それぞれのディティールがソフトウェア開発の現場としてあまりにもリアルに描かれており、思わず心配になるほどです(機密保持契約的な意味で)。

会社のかたち 人のかたち

ソフトウェア開発の会社は、事業の柱がどこにあるかでざっくり3つに分類できます。

  • SES
    • エンジニアを現場に派遣し、人月単価で売上を立てる
  • 受託開発
    • ソフトウェアの開発・運用を受託し、プロジェクト単位で売上を立てる
  • 自社サービス・プロダクト
    • 自社で企画・開発した製品やサービスを提供し、ユーザーから支払われる利用料で売上を立てる

個人的に見聞きした事例から判断すると、SESの会社は受託開発を目指し、受託開発の会社は自社サービス・プロダクトを目指す、といった傾向があるようです。

そしてエンジニアには、どのような技術を持ち、どのような仕事を好み、どのようなライフステージにいるか、という複数のパラメーターが組み合わさったマトリックスが存在します。

本書の見どころのひとつは、五十嵐さんによって半ば強制的にもたらされた会社としてのフェーズの変化と、それに適応して生きのころうとするエンジニアたちの葛藤にあります。フェーズの変化は、エンジニアたちに(比較的)新しい技術の習得を迫ります。それを喜ぶもの、適応を諦めるもの、会社を去るもの。それぞれにライフステージというバックボーンがあるので、その選択にはリアリティがあり、現実世界の読者に現実と同じようなつらさを感じさせてくれるのです。

エンジニアとしての自分がどのフェーズの会社で働いているのか、どんな変化が予想されるか、そしてそれに適応できるかどうか。そんなことを考えながら読むことをおすすめします。

あなたの職業人生の物語

エンジニア界隈で定期的に話題に上るテーマとして、「業務外の時間で勉強することの是非」があります。

エンジニアを職業として生きていくなら腕を磨くのは当然だし、そのための投資は自分の責任でするものだ。だから業務外で勉強するのは当然だろう?とする一派。

仕事のために必要な技能の習得も仕事であるならそれは業務時間内になされるべきだし、プライベートまで仕事のために差し出すのは間違っていないか?とする一派。

どちらの言い分にも一理あり、どちらかが正しいと断言することもできません。この問題を象徴するのがカスミさんです。彼女は新しい技術に適応しようとはしなかった。でも、彼女がエンジニアとして生きのこれない業界は、あまりにも厳しすぎはしないでしょうか。

私はずっと「エンジニアなら腕を磨け、自分に投資しろ」と言い続けてきました。でも、すべてのエンジニアにそれを要求するのは酷すぎるのかもしれません。マッチョ論に偏らないように気をつけなければ、と改めて自戒しました。

我々の職業人生にはどんな物語があるのでしょうか。そして、その物語をハッピーなものにするために、どんな選択をすればよいのでしょうか。そんなことを考えずにはいられませんでした。

五十嵐さんライジング

採用担当をしていると、転職理由として「環境を変えられなかった」というエピソードを聞くことがあります。

若いエンジニアたちはあるとき、優秀なエンジニアや技術顧問が来たり、勉強会やカンファレンスで他社事例を聞いたりして、世の中にはモダンな技術や開発手法があることを知ります。バージョン管理(いまごろ?と思うかもしれませんが導入されていない現場は結構多いのです)、自動テスト、継続的インテグレーション、インフラのコード化、アジャイル開発。すっかり感銘を受けて自分のチームに導入しようとするのですが、意外なほどの抵抗に遭い、やがて力尽き心折れ、転職エージェントの門を叩く。そんな話を何度聞いたことでしょう。

そういった経験があると、五十嵐さんはダークヒーローそのものです。強い意志と権力を持ち、抵抗勢力をねじ伏せ、多少の犠牲はものともせず、グイグイと改革を進めていく。「多少の犠牲」に含まれるひとたちにとってはたまったものじゃありませんが、現場の改革に挑み破れていった(私を含む)エンジニアにとって、抗いがたい魅力を感じる一面があります。

書籍版書き下ろしの「特別編」では、本編の前日譚として五十嵐さんのエピソードが描かれています。五十嵐さんの存在自体は小説ならではの荒唐無稽なものですが、この「五十嵐さんビギンズ」パートが、より本編での五十嵐さんを魅力的なキャラクターにしてくれるとともに、五十嵐さんのいない世界で生きるわれわれにも課題を突きつけてくるのです。

新たなるジャンル

昨年読んだ本の中に「The DevOps 逆転だ!」があります。デスマーチプロジェクトを立て直していくという、開発手法の適用例を小説の形で紹介する、「新ジャンル : IT小説」とでもいうべき珍しい本でした。

小説としておもしろく、そしてエンジニアの生存戦略について考えさせてくれる本書は、IT小説という新ジャンルを日本(しかもエンジニアライフ)から開拓していくという意味で記念碑的な作品でもあります。

豊富に散りばめられたSFネタにニヤッとしつつ、エンタメとして楽しみながら、エンジニアとしての人生に思いを馳せる。「レッドビーシュリンプの憂鬱」を読んでいる時間は、そんな充実した時間になることでしょう。